大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)204号 判決

大阪市福島区玉川三丁目二番七号

上告人

株式会社 入船

右代表者代表取締役

長﨑功祐

右訴訟代理人弁護士

小野昌延

芹田幸子

大阪府吹田市山田西四丁目八番三号

被上告人

株式会社 小僧寿し本部

右代表者代表取締役

山木益次

一〇番五-二〇七号

被上告人

山木益次

右両名訴訟代理人弁護士

中嶋邦明

松田成治

右当事者間の大阪高等裁判所平成二年(ネ)第六六九号商号使用禁止、商号登記抹消等請求事件について、同裁判所が平成四年一〇月二八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小野昌延、同芹田幸子の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足りる。右事実関係の下においては、第一審判決添付第二目録、同第三目録、同第四目録(2)(4)(5)、同第五目録及び原判決添付第六目録記載の各標章は、いずれも本件商標に類似しないというべきである。そして、第一審判決添付第四目録(1)(3)の標章については、原審口頭弁論終結時において被上告会社又はその加盟店がこれを使用していることが認められないというのであるから、上告人の本件商標権に基づく前記各標章の使用の差止請求をいずれも棄却すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。また、被上告会社の加盟店の一部が第一審判決添付第四目録(1)(3)の各標章を一時使用していたことによる本件商標の侵害については、侵害行為の行われた店舗、時期、侵害状況、侵害期間中の各店舗の売上額等の事実についての主張立証がされていないというのであるから、原審が上告人の損害賠償請求をすべて棄却すべきものと判断した点も、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難し、独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでその法令違反をいうものか、又は原判決の結論に影響しない説示部分を論難するものに帰するから、すべて採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 可部恒雄 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

(平成五年(オ)第二〇四号 上告人 株式会社入船)

上告代理人小野昌延、同芹田幸子の上告理由

原判決には、以下のとおりの違法があり、その法令の違背はいずれも判決に影響及ぼすことは明らかであるので、破棄さるべきである。

以下、被上告人株式会社小憎寿し本部を、単に被上告人といい、被上告人山木益次を被上告人山木という。

第一点

原判決における事実及び理由の記載には、第一審判決の引用を誤った違法があり、そのために判決の理由に不備がある。

民事訴訟法第三九一条は、控訴審判決に事実及び理由を記載するにつき第一審判決を引用することができると規定するが、原判決における第一審判決の引用には、右規定が定めている引用の方法とそれが許容される合理的範囲を逸脱した違法があり、その結果、判決に理由を付せずまたは理由に齟齬があり、民事訴訟法第三九四条および第三九五条第一項第四号により破棄を免れない。

一、およそ、文章は、語句の羅列によって成るものでなく、構文と文脈をもって成る。民事訴訟法第三九一条が第一審判決の引用を許すのも、当然、第一審判決の文章の引用を許すのであり、その構文と文脈を破壊して引用することを許すものではない。

乞う、試みに原判決と本件第一審判決を机上に並列し、第一審判決の引用部分を逐次照覧しつつ、原判決を通読されたい。原判決中、引用する旨の表記のある箇所は、三ケ所であり、その修正・削除を含むものは、実に六八ケ所に及ぶ。実務経験を重ねた法曹が反復して通読の作業を行っても、容易に読解できない引用部分が多い、いわんや、一般人たる当事者本人においては、このような作業ができるわけがないのである。判決の本来の名宛人は、当事者であって、上級裁判所だけが見るのではない。それなのに、民事訴訟法は、このような一般人の読解出来ない引用を許しているというのであろうか。

二、民事訴訟法第三九一条の趣旨については、次のように説かれている。

「民事訴訟法第三九一条にいわゆる『引用』とは、控訴審の判決書を構成しない『他の文書』である原審判決からその『事実摘示または『理由』の全部又は云々の部分の記載を引用する旨を控訴判決に表示することによって、その部分が控訴裁判所によって自己の判断として記載されたと同一の効力を有することを意味する。従って事実摘示又は理由について、控訴裁判所の判断が原審判決のそれと一致する場合或いは一致する範囲において初めて引用が可能となるのでみる。この故にこの場合の引用は、控訴裁判所の事実摘示及び理由づけについてその判断作用自体の省略を意味するものでないことは言うまでもなく、単にその判断作用によって得た結論を起案する筆写の労力を省くことを目的とするものに他ならない。そして、その意味において裁判官の負担軽減となるに過ぎないのである。」(鈴木忠一「民事判決の事実摘示に関する問題」判例時報八八六号一二三頁)

すなわち、民事訴訟法第三九一条は、控訴裁判所がその事実摘示および理由付けについての自らの判断作用を示すにつき、筆写の労力を省くために引用を許しているのであって、原審判決の構文や語句の煩多な断裂的引用のために当事者が控訴審裁判所の判断作用自体を窺い知ることができなくなるのでは、本末転倒という外はない。

しかも、原審判決の判示の包括的な引用でない、このような錯雑な引用を数多く行うことによって、控訴裁判所自体が、いったい、どれだけの労力を省くことができたというのか。むしろ、控訴裁判所が自ら全面的に書き直したほうが、よほど楽だったのではないかと思料されるほどである。些かの労を惜しんで乱雑な引用をこれほどまでに重ねるのは、判決文の通読を殆ど不可能にして当事者を困惑させるばかりであり、本件での上告を躊躇あるいは断念させるのが目的なのではないかと一般人が疑ったとしても、当然といえるであろう。

母法たるドイツ民事訴訟法第五四三条は、わが民事訴訟法第三九一条の範となった規定であるが、一九七六年の簡素化法による改正を経た現在では、「第一審判決、準備書面、調書その他の文書の引用は、それによって上告裁判所による当事者の主張や陳述の判断が著しく困難にならない場合にかぎり、許される」と明規している(ドイツ民事訴訟法第五四三条第二項第二文)。また、学説も、引用が「事実関係の明確性」(die Klarheit des Tatbestandes)を害しない限りにおいてのみ許可されることを強調している(Munchener Kommentar zur Zivilprozessordnunng,Band 2,1992,s.611 u.a.)。明文をまつまでもない、当然の事理と言うべきであろう。

たしかに、わが国の裁判例のなかには、「民事訴訟法第三九一条にいう引用とは原判決の記載そのままを引用するの謂ではなく、これに付加し又は訂正し時に或いは削除して引用しても妨げない趣旨と解するを相当とする」旨の判決(最高裁判所昭和三七年三月八日第一小法廷判決裁判集民五九号八九頁)がある。しかし、事案との関係上は、引用が原判決の一宇一句そのままでなくてもよいという点に主眼があり、いうところの附加・訂正・削除がどの程度まで許されるのかについて判示していないので、本件に対する先例としての作用はもちえない。

ちなみに、名古屋高等裁判所判決昭和六一年五月一四日東天紅事件控訴審無体集一八巻二号一二九頁は、一審判決の名古屋地方裁判所判決昭和六〇年七月二六日東天紅事件無体集一七巻二号三三三頁を引用しているが、その引用自体簡明でありこれと一審判決と対照すれば、控訴審判決の事実及び理由が明瞭である。民事訴訟法第三九一条により許された一審判決の引用とは、この程度であるべきである。

近時、民事判例書の記載については、判決書が当事者のためのものであることを強調しつつ、当事者が真に知りたいことに簡明かつ的確に応える平易な判決書の新様式が普及しつつある。本件の原判決は、この方向に逆行すること、甚だしい。しかも、この判決様式の問題は、単に判決のスタイルにとどまるものではない、最近、憲法及び民事訴訟法の学者の間には、憲法第三二条の「裁判を受ける権利」には、国民の信頼を呼び起こし、信頼に応える手続的処理の要求としての「公正手続請求権」が含まれる、との主張が強まりつつある。判決様式も憲法第三二条から見直される時期に立ち至っているのである。この意味においても、本件の原判決判決における第一審判決の断裂的引用の違法は、民訴第三九一条の違反にとどまらず、憲法違反にも及ぶ重要な暇疵を含むものといわなければならない。

本件では多くの争点が主張されていて、到底一審判決の加除訂正挿入ではかかる争点に的確に対応した判断は不可能であるのに、原判決は、その事実と判断欄は一八頁にもわたって一審判決の加除訂正に終始し、所々一審判決の判断を変更する旨の挿入をしたため、判断を知ることが困難であるのみならず、整合性を欠き、結局、多くの判断遺脱、理由不備、理由齟齬の違法をおかすに至った。

この引用に関する違法は、判決に影響することが明らかであり判決の理由不備も明瞭であるので、原判決は破棄を免れない。

第二点

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明かなる「法令違背」がある。―商標法第三七条第一号

原判決は、被上告人の使用した別紙第六目録(1)・(2)の図形商標について「『小憎寿し』の観念と『コゾウズシ』の称呼が生ずると認める余地はある」と認定している(九丁表)。

しかるに、「小憎寿し」の観念と「コゾウズシ」の称呼の内「寿し」「スシ」の部分は、指定商品・商標使用商品の普通名称であり、特別顕著性はなく、「小僧」、「コゾウ」の部分が要部であって、登録商標「小僧」と別紙第六目録(1)・(2)の図形商標は、この「コゾウ」部分の称呼ならびに「小僧」部分の観念を共通にし商標類似であるのに、これを非類似としたことは、商標法第三七条第一号の解釈を誤ったものである。

一、商標の類否判断において、要部観察を無視すべきではない。

商標は商品の識別標識であるから、商標の類否の判断に際しては、両商標が商品を識別するための標識として相紛らわしいものであるかどうかをまず全体的に観察し、それぞれの商標の部分の中で、識別機能に影響の無い部分(本件では、普通名称「寿し」)でなく、識別機能を有する要部である部分(本件では、「小憎」)をとりあげて、これを比較対照し、識別機能の面から見て、外観・称呼・観念のいずれかにおいて相紛らわしいか否かによって類否を決定する手法がとられている。即ち、被上告人の使用図形商標から生ずる「小僧寿し」の観念と「コゾウズシ」の称呼の要部「小憎」「コゾウ」は、上告人の本件商標「小憎」に、称呼・観念のいずれにおいても類似するから、被上告人の別紙第六目録(1)・(2)の図形商標の使用は、上告人の登録商標権を侵害するので、上告人の被上告人に対する右侵害行為の差止めと損害賠償請求は認容さるべきである。

二、普通名称(本件では「寿し」)と他の語(本件では「小僧」)との結合よりなる商標の要部の決定と、類否の判断についての要部判断は、既に大審院以来確立した判例に副うものであり、同種判例は枚挙にいとまがない(網野誠「商標(新版)」三三八頁)。そして、それは類否判断における経験則であるといっても過言でなく、従って、特許庁における商標審査基準にも採り入れられている。

商標の要部は、識別力を有する部分であるから、その他の部分が商標法上、識別力を有しないとされる部分(普通名称等)に相当する場合は、類否の判断にあたっても要部ではない普通名称等の部分を他の部分と対比すべきではないのである(網野誠「商標(新版)」三四五頁~三五〇頁)。

このような類否判断が経験則に等しいものであることの例証としては、末尾記載中の一、二例を御一見いただくだけでも明瞭なことなのである。

又、このような要部判断は、実務上、特許庁の商標審査基準にまで採り入れられている。即ち、結合商標の類否判断において、「形容詞的文字(商品の品質、原料、材料等を表示する文字)を有する結合商標は、原則として、それが、付加されていない商標と類似する。」としている。

三、ところで、上告人は、持ち帰り寿しのフランチャイズチェーンの最大手であり、「小憎寿し」はその商号の著名な略称であるとし、元来の「小憎」印の「寿し」という表現を、商号に取り入れた点を不当に強調して、いつのまにか「小憎寿し」は主体であって、客体ではないとし、「小憎寿し」は商標ではないかの如き誤った印象を裁判所に植え付けた。そして被上告人の右作戦(「今日は『小僧寿し』でも食べようか」とか、「『小僧寿し』を買ってこい」というような表現に現れる客体としての本来の「小僧寿し」を、主体であるかの如く錯覚を生じさせ、客体としての「小憎寿し」を無とする作戦)が成功をおさめた結果、図形標章についての原判決の判断を誤らせたものである。

又、原判決は、商標権侵害即ち商標法の要件事実の存否、即ち、類否が問題であるのに、不正競争防止法の要件事実たる具体的「混同」を持ち込んで主張反論した被上告人の基本的誤りをそのまま採用しているものであって、法令の解釈適用の誤りを犯している。商標権侵害即ち商標法の要件事実は、「商品の同一又は類似」と「商標の同一又は類似」である。

即ち、未使用の登録時点でも存在する「類似」について商標権の効力範囲を判断し、類似範囲を禁止権の範囲として規制することによって将来の商標の信用獲得範囲についても保護が為されうるのである。商標権の効力範囲・侵害の有無は、商標と商品の同一・類似の判断によるのである(以上、光石士郎「商標法詳説」九五頁を御参照)。若し、具体的出所の混同までも判断されねばならないとすると、未使用の登録時では判断が不可能であり、また、対比される商標が異なる毎に登録商標権の商標の類似の幅が異なることになって、将来の信用形成をも予め枠付け保証するという禁止権の保護範囲を客観的に定めることが不可能になってしまうのである。以上のように、商標の類否は、具体的な出所の混同ではなく、一般的な出所の混同の有無によって判断すべきなのであり、「小僧」「コゾウ」という要部を重視して一般的に出所が混同すると判断して十分であったのであって、判断の適否は別論としで、具体的な認定に入って判断していることそれ自体が適法でなく、法の解釈を誤っているのである(網野 前掲書四八〇頁を御参照)。

四、ちなみに、不正競争防止法では、周知表示について個別的、具体的取引において、その商標の使用状態を観察し、「表示(商標を含む)の類似」に加えて、「誤認混同の惧れ」を問題にするのである。しかし、かかる具体的な不正競争防止法的保護においてすら、被上告人等の主張するような「現実の混同誤認」は不要とされており、判例・通説上「混同誤認のおそれ」で足るとされている。

原判注は、上告人・被上告人間で寿しを「中心業務」として競り合った現実的顧客の取り合いのような営業の競合がないかぎり、「競争」がないと考えているが、大きな誤りである。競争は潜在的な競争で充分である。しかも本件では両者の「中心業務」の種類としては、「寿し」と「おにぎり」で同種の営業である。加えて、被上告人は「小僧寿し」で弁当を売り、上告人は「小憎」で「寿し」を売るというように、更に交錯した営業をしているのである。

また、原判決は、我が国の商標法が登録主義をとり、商標権に地域的効力でなく全国的効力をもたせていることを全く理解していない。商標権が制度的に本件商標の潜在的発展範囲をも保護しているということ(商標登録制度によって成立する登録商標が、将来形成されるべき信用の受け皿でもあること、あるいは、すでに形成された信用の周辺の侵害に対しても予防的保護をするということ)を理解していないから、「登録主義立法」を否定するような一審判決をそのまま維持したのである。

以上、原判決は、被上告人の使用した別紙第六目録(1)・(2)の図形商標と上告人の登録商標「小憎」との商標の類否判断につき、商標法第三七条第一号の「商標の類似」の解釈を誤った結果、商品「寿し」の「小憎(コゾウ)」商標と、商品「寿し」の「小憎寿し」「ユゾウズシ」商標とは非類似であると結論するような、重大な誤りをおかしているのである。

第三点

原判決は、商標の類否判断について最高裁判所判例(最高裁判所判決昭和三八年一二月五日民集一七巻一二号一六二一頁および最高裁判所判決昭和五〇年四月八日判例時報七七九号五六頁)大審院「判例」(大審一院判決昭和一五年六月二七日新聞四五九八号九頁)に抵触する。

原判決は、被上告入の使用した別紙第六目録(1)・(2)の図形商標について「『小僧寿し』の観念と「コゾウズシ」の称呼が生ずると認める余地はある」と認定している(九丁表)。

しかるに、「小僧寿し」の観念と「コゾウズシ」の称呼のうち「寿司」「スシ」の部分は、指定商品・商標使用商品の普通名称であり、特別顕著性はなく、「コゾウ」の部分が要部であって、登録商標「小憎」と別紙第六目録(1)・(2)の図形商標はこの「コゾウ」の部分の称呼ならびに観念の部分を共通にし商標類似であるのに、これを非類似としたことは、下記大審院判決、最高裁判所判決に反し、商標法第三七条第一号の解釈を誤ったものである。

一、リラ宝塚商標事件

最高裁判所判決昭和三八年一二月五日

民集一七巻一二号一六二一頁

石鹸を指定商品とし、リラと呼ばれる抱琴の図形と「宝塚」の文字との結合からなる商標が、同じく指定商品を石鹸とする商標「宝塚」と類似すると認められた事例である。(判例評釈)吉井参也 別冊ジュリスト商標判例百選二五事件 五八頁

二、雷おこし事件

最高裁判所判決昭和五〇年四月八日

判例時報七七九号五六頁

産地表示や普通名称、慣用商標を含む商標部分には、出所表示としての特別顕著性が無いとしている。

〔判例評釈〕渋谷達紀 ジュリスト六六一号一二〇頁

三、パパコロン事件

大審院判決昭和一五年六月二七日新聞四五九八号九頁

同事件は、引用登録商標「パパー」と「パパコロン」の類否につき、「コロン」は商品化粧水を表示する普通名称であるから「パパコロン」の要部に「パパ」であり、これと「パパー」とを対比して両標章は類似であると判断した事例である。

第四点

原判決には、明らかに理由齟齬ないし理由不備があるから民事訴訟法第三九五条第一項第六号の該当事由があり、破棄を免れない。

(―原判決は、文字商標と図形商標との類似判断について、理由を示さず、文字商標と文字商標との類似判断と矛盾した判断をしている。―)

原判決は、被上告人の使用した別紙第六目録(1)・(2)の図形商標について「『小僧寿し』の観念と「コゾウズシ」の称呼が生ずると認める余地はある」と認定している(九丁表)。

他方、被上告人の使用した「小僧寿し」の文字商標については、上告人の登録商標「小僧」との類似を認めている(第一審判決四八丁、原判決はこれを維持)。

しかるに、登録商標「小僧」と前記図形商標(1)・(2)との類似判断については類似を認めず、「小僧寿し」の文字商標と「小僧寿し」の観念と「コゾウズシ」の称呼の生ずる図形商標とで判断を異にしていることは、

(1)理由に食い遅いがある。仮に、理由に食い違いがないとすれば、(2)これについて何の理由の説明もない理由不備の判決である。

したがって、原判決には、民事訴訟法第三九五条第一項第六号に該当する絶対的上告理由がある。

一、原判決は、被上告人の使用している文字標章「小僧寿し」については、一審判決を維持する。

即ち、一審判決がその別紙第二・第三目録記載の標章即ち「小僧寿し」の文字標章につき、両商標は類似ではあるが、商標法第二六条第一項第一号により商標権の効力が及ばないとの被上告人の抗弁を容れて、上告人(一審原告)の差止等請求を棄却しており、原判決は、これを維持している。

ところで、商標法第二六条第一項第一号は商標権の効力の制限規定であるから、その適用の是非が問題となるのは、被上告人の使用している文字標章「小僧寿し」が、本件登録商標「小僧」と類似するとの判断をその前提としているからであることはいうまでもない。

二、ところが、原判決は、一方では、このように被上告人使用の「小僧寿し」の文字標章と上告人の本件登録商標「小僧」との類似を認めておきながら、他方、被上告人使用の図形標章については、「小僧寿し」の観念、「コゾヴズシ」の称呼が生ずる余地もあるとしながら、上告人の本件登録商標「小僧」との類似を否定する。

商標の類否につき判例学説上確立した判断手法は、外観・称呼・観念を対比してその何れか一の類似を以て、類似であると判断する。たとえ全体的判断が重要であっても、この従来からの判断手法は類否判断の手法として矛盾せずに併存している。

従って、仮に、万一、原判決の如く、別紙第六目録(1)・(2)の図形標章からは、「小僧」、「コゾウ」の観念、称呼は生じないとしても、「小僧寿し」の観念、「ユゾウズシ」の称呼は生ずるというのであれば、文字標章「小僧寿し」と同じく、右図形商標は上告人の本件登録商標「小僧」と類似であり、原判決の判断は矛盾し理由に齟齬がある。

仮に、「小僧寿し」の観念、「コゾウズシ」の称呼を生ずる余地があるのに上告人の本件登録商標と類似しないという判断が矛盾しないというのならば、「小僧寿し」の観念、「コゾウズシ」の称呼を生ずる文字商標「小僧寿し」は本件商標「小僧」と類似とし、図形標章についてのみ類似しないという一審判決と大きく異なる点については、原判決は第二審として十分なる理由の説明を要する。

三、原判決は、文字標章と図形商標とで、このように判断・結論が異なることについて、何らの理由を示しておらず、これは、理由不備乃至理由齟齬の違法をおかしているものである。

第五点

原判決には、別紙第六目録(5)の図形商標についての判断において、明らかに理由齟齬ないし理由不備があるから民事訴訟法第三九五条第一項第六号の該当事由があり、破棄を免れない。

(―文字商標「小僧寿し」と前だれ部分に「小僧寿し」の文字を記入付加した図形商標とで、類似判断について理由を示さずに矛盾した判断をしている。―)

原判決は被上告人の使用した別紙第六目録(1)・(2)の図形商標について「『小僧寿し』の観念と『コゾウズシ』の称呼が生ずると認める余地はある」と認定している(九丁表)。

しかし、別紙第六目録(3)・(4)・(5)・(6)の図形商標による商標侵害については、なんの判断もしていない。この別紙第六目録(3)・(4)・(6)についての判断遺脱はしばらくおき、別紙第六目録(5)についてここで取り上げる。他方、被上告人の使用した「小僧寿し」の文字商標については、上告人の登録商標「小僧」との類似は認めている(第一審判決四八丁、原判決はこれを維持)。これらの矛盾については、第四点で述べたところである。

加うるに、別紙第六目録(5)の図形商標には、別紙第六目録(1)・(2)の図形商標と異なり、前だれ部分に「小僧寿し」の文字が入っている。

この別紙第六目録(5)の図形商標についての判断についても、別紙第六目録(1)・(2)の図形商標に対する判断と同じと解すべきであろうか。(このような無言で説示することは訴訟法に反する)。

仮に、別紙第六目録(5)の図形商標についても、第四点で指摘の判断と同様に、本件登録商標「小僧」との類似判断について、一方では、文字商標「小僧寿し」の文字商標について本件登録商標「小僧」との類似を認めていながら、他方では、図形商標の要部に「小僧寿し」の文字を有し、文字商標の性格も兼有するところの別紙第六目録(5)の図形商標に関して、その判断を異にしているのならば、原判決には理由の齟齬がある。

仮に、理由に食い違いがないとすれば、これについて何の理由の説明もない原判決は、理由不備の判決である。

第六点

原判決には、明らかに理由齟齬ないし理由不備があるから民事訴訟法第三九五条第一項第六号の該当事由があり、破棄を免れない。

(―別紙第六目録(3)・(4)・(5)・(6)の図形商標についての判断遺脱ないし理由不備がある。―)

原判決は被上告人使用の別紙第六目録(1)・(2)の図形商標について「『小僧寿し」の観念と「コゾウスシ」の称呼が生ずると認める余地はある」などと認定し説示している(九丁表)。

しかるに、別紙第六目録(3)・(4)・(5)・(6)の図形商標については、上告人が控訴審で新たに主張したことを認めながら(四丁表、並びに、判決末尾第六目録)、この図形商標による商標権侵害については、なんの判断もしていない。これは、明白な判断遺脱である。

例えば、別紙第六目録(1)・(2)の図形商標と別紙第六目録(3)・(4)・(5)・(6)の図形商標とでは、使用権と禁止権ならびに正当行為の抗弁については異なる。いかに、別紙第六目録(1)・(2)の図形商標について判断したからといって、また、その図形には、別紙第六目録(1)または(2)の図形商標を構成の一部に含むからといっても、なぜ判断の必要もないかの理由をも示さずして、別紙策六目録(3)・(4)・(5)・(6)の図形商標に対する判断を全く省略してしまうような無謀な判決である。

この別紙第六目録(3)・(4)・(5)・(6)の図形商標についての判断の遺脱は、民事訴訟法第三九五条一項に反する。

第七点

原判決は、別紙、第六目録(5)の図形商標(前だれ部分に「小僧寿し」の文字記入)の使用が、和解契約の不履行となることについての判断を遺脱しており、この違法は、民事訴訟法第三九四条ないし同第三九五条第一項第六号に該当するので、原判決は破棄を免れない。

原判決は、このような多くの問題を含み、かつ、重要な事件であるのに、控訴人の各種の主張に対して、第一審判決を修正して判決をするという便法を取った。そして、被上告人の使用した別紙第六目録(1)・(2)の図形商標についての商標権侵害についてのみ判断し、別紙第六目録(3)・(4)・(5)・(6)の図形商標に対する判断を遺脱した。

この結果、次のような、判断遺脱か、しからずば、経験則に反する不当な判断をも招来するにいたっている。

すなわち、別紙第六目録(5)の図形商標は、別紙第六目録(1)・(2)の図形商標とは異なり前だれ部分に「小僧寿し」の文字が入っている。

他方、上告人は、本件において、商標権侵害を理由とする差止請求と、上告人・被上告人間の和解契約に基づく差止請求とを択一的に主張している。

しかるに、原判決は、和解契約に基づいて被上告人が別紙第六目録(5)の前だれ部分に「小僧寿し」の文字が入っている図形商標の使用が許されるか否かという点について判断を遺脱している(仮に判断を遺脱していないとすれば、被上告人が「小僧寿し」の文字を抹消し、また、双方抹消義務について争いのない前だれ部分に「小僧寿し」の文字が入った別紙第六目録(5)の図形商標の使用までもが、原判決で許されるという不合理なことになる)。

上告人の代表者は、「小僧」商標の連合商標で「おにぎり」を多量に販売し、「寿し」も販売している。同人にとって暖簾、看板は命であり、被上告人やその加盟店の店舗の看板から「小僧寿し」表示を除去させられるかどうかということは重要な問題であり、この点を解決するものでなければ上告人代表者が同意しないことは、被上告人山木は熟知していた。上告人の代表者は、看板の文字を入れて問題を表面化しては合意できないので、「以後は商標としては一切使用しない」との抽象的な文言で契約しておこうとしたのである。

被上告人は、このように上告人に対して、「小僧寿し」標章を「商標としては一切使用しない」と約定したのである。よって、「看板からは、商標の使用であっても『小僧寿し』の文字は抹消しなくてもよい」と明示の合意をしない以上、契約の文言どおりの義務を負うものである。一般論としても、被上告人が「小僧寿し」の文字を看板に使用するのは、商品寿しの広告であって、商標としての使用である(同旨判例、名古屋地方裁判所昭和六〇年七月二六日東天紅事件無体集一七巷二号三三三頁。名古屋高等裁判所昭和六一年五月一四日東天紅事件控訴審無体集一八巻二号一二九頁)。従って、被上告人がその看板に「小僧寿し」の文字を使用することは和解契約違反である。

そして、当事者間の和解契約により、「小僧寿し」標章を商標として使用しないことを約定した以上、別紙第六目録(5)の「前だれ部分に『小僧寿し』の文字が入っている図形商標」の使用は許されない。しかるに、原判決は、この点の判断を遺脱している。

現に、被上告人は、原審継続中に上告人が別紙第六目録(5)の図形商標の使用事実を主張立証すると(例えば、甲第二二一号証、甲第二三五号証、甲第二三七号証)、事後的にでもせよ右図形の前垂れ部分の「小僧寿し」文字を抹消しては、その写真を乙号証として提出していた(例えば、乙第二一四号証の一乃至五)。その上、上告人は、被上告人の他意のない消し忘れの例外事例を針小棒大に主張すると反論していた。即ち、被上告人すら別紙第六目録(5)の図形商標の使用は、商標権侵害ともなり、和解契約違反ともなることを認めていたのである。

しかるに、原判決は、このように和解で両者異論なく抹消した人形図形商標(別紙第六目録(5))の前だれ中の「小僧寿し」の文字の抹消までも必要ないとするという誤った結論にまでいたっている。

仮に、両者に異論のない右行動までも、上告人のみならず、被上告人まで法に無知な行動をとっていたと和解を解釈することは、あまりにも経験則に反する非常識な解釈である。少なくとも、判断遺脱ないし理由不備である。

以上のように、原判決には、判断遺脱ないし理由不備の違法がある。

第八点

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明かなる法令違背がある。―商標法第二六条第一項第一号

原判決は、商標法第二六条第一項第一号の「普通に用いられる方法」の解釈を誤り、法令に違背して、被上告人使用の「小僧寿し」の文字商標につき、被上告人の同条の抗弁を認めて上告人の請求を棄却した一審判決を維持しており、これが判決に影響を及ぼすことは明白である。

一、仮に、商標法第二六条第一項第一号にいう普通に用いられる方法をもって自己の名称等を表示するものとの意味は、標章の外観上の態様を意味するとの立場に立ったとしても、被控訴会社の使用態様は、普通に用いられる方法をもって自己の名称等を表示しているものではない。

被上告会社は、その加盟店の看板の左端に人物図柄商標を配し、その右に「小僧寿し」を特に太く、或いは大きく表して、「小僧寿し二番町店」「小僧寿し升形店」「小僧寿し伊野店」等と掲示する看板を使用し、或いは人物図柄商標から意図的に「小僧」の称呼観念を生ぜしめるような態様で、「小僧寿し」の部分を特に顕著に太く、大きく表した看板を人物図柄商標を表した看板と併用して使用している。

右は、看板全体を総合的に観察して見れば、右看板の表示は被上告会社の登録商標たる人物図柄商標と同一ではなく類似するにすぎない。被上告人は、かかる商標を、商号としてよりも商標的に広告し、もって商標の使用をしたものであって、著名な商号を営業表示として普通に用いられるような方法で表示したものではない(甲第二三三号証、意見書を御参照)。

更に、被上告会社は、人物図柄標章について、一方でこれは「小僧」ではないと主張して登録を受け商標権を確立し、他方では次の様な使用をして後発的に人物図柄標章に「小僧」の称呼、観念を付着させる不正な使用をしたのである。即ち、看板に人物図柄標章と子象の図柄とを併用したり、人物図柄標章を「小僧寿し」の文字と看板に併記して使用したり、「小僧寿し」を「小僧」と、「寿し」に分離して「小僧-人物図柄商標-寿し」と看板に記載して使用したり、人物図柄標章とKOZO、KOZOZUSHI等の英文字と併用したり、販促用のチップ貼用台紙にチップ貼用例としてチップでKOZOの文字を描く様に貼用した例を印刷したものを配布したり、景品、包装に人物図柄標章と子象の図柄を併用したり、テレビコマーシャルで「小僧」「小僧」と称したり等々の手段によってである。

二、特殊な書体での使用等は「普通に用いられる方法には該らない」場合の単なる一例に過ぎない。

「普通に用いられる方法」に該当するか否かに付いての判例は、標章の使用態様が特に一般の注意を引くような書体あるいは図案を用いているか否かの外観を問題にしている場合が多い(東京高等裁判所判決昭和三六年五月九日菊最中事件下民集一二巻五号一〇二〇頁。岐阜地方裁判所判決昭和四〇年五月一〇大アカフダ堂事件判例タイムズ一七八号二〇〇頁。名古屋地方裁判所判決昭和六〇年七月二六日東天紅事件無体集一七巻二号三三三頁。名古屋高等裁判所判決昭和六一年五月一四日東天紅事件控訴審無体集一八巻二号一二九頁。東京地方裁判所判決昭和五七年六月一六日山形屋海苔店事件無体集一四巻二号四一八頁)。

しかし、一般の注意を引くような特別な書体あるいは図案を用いることは、「普通に用いられる方法」に該当しないことの一例に過ぎず、これに限定される趣旨ではないことはいうまでもないのである。

三、被上告人の標章使用の態様の如く、本件商標の商標権利者たる上告人の存在を意識した上で、想定される非難を考慮して被上告人の商号の略称「小僧寿し」と不正使用の被上告人の図形標章とを併用する等の奸智な対策をとった使用も、特殊な書体による使用に優るとも劣らず到底商標法第二六条第一項第一号の「普通に用いられる方法」とは言えない(なお、別紙第六目録(5)の図形商標に至っては、「普通に用いられる方法」でないことはいうまでもない)

第九点

原判決は、被上告人が製造してフランチャイジーに販売し、また、フランチャイジーをして消費者に販売せしめている商品「袋詰及びカップ詰めみそ汁のもと」について、商標法第二六条第一項第一号の適用において誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一、原判決は、被上告人が製造し、フランチャイジーに販売し、更に、フランチャイジーによって消費者に販売される袋詰及びカップ詰めみそ汁のもとについて、事実摘示において、一審判決の被告会社の標章使用(一審判決七丁表)、判断として 二2、(5)(ロ)、(d)(一審判決四六丁)での被告登録商標が「付されている」との認定事実、及び、(四)での広告、領収書等での使用事実について商標の使用であるとの認定を引用している。

使用商標の認定においては、袋詰及びカップ詰めみそ汁のもとに直接付された商標のみならず、商品販売において使用されている被告商標の認定が必要である。袋詰めやカップをいれる包装紙、取引書類における使用商標の認定において、「袋」詰みそ汁のもとの「袋」と、包装用の「袋」や、包装紙とは別であるこことを指摘したい。一審判決が、即席みそ汁は裸で売られると認定しているならば、あまりにも経験則に違反するので、そうではなかろう。また、領収書には、即席みそ汁の売上も記載されている。一審判決二 差止請求の2、(四)(一審判決四六丁以降)の記載においても、四七丁表四行目の「また」を挟んで二つに別れる二つの判断の、前段の認定からでも、袋詰およびカップ詰めみそ汁のもとについては、これらを、全く使用していないという判断はない。そして、原判決はかかる一審判決の認定を引用している。

二、そうすると、原判決は、即席みそ汁について、文字商標の使用認定について暗黙のうちに、指定商品すし及び即席みそ汁について、共に商標法第二六条第一項第一号の適用を認めたことになるが、これは法令の適用を誤っているものである。

ちなみに、加工食料品すしは、第三二類の商品であり(商標法施行規則別表第三二類加工食料品の五御参照)、調味料みそは別類の第三一類の商品である(商標法施行規則別表第三一類調味料御参照。ところが、即席みそ汁や即席みそ汁のもとは、加工食料品として第三二類の商品であると解されているのである。<商標公告番号五六-三四七四二号、商標公告番号五七-二〇八〇七号、特許庁商標課編・新商品名リスト一五三頁御参照>)。したがって、すしとみそとは軽々しく同じに考えることはできない。すしと即席みそ汁も、いくら同一の類といっても、すしと肉や、すしとコーヒー豆と同様に、また、おなじ加工食料品に属するといっても、すしと肉製品、すしと納豆、すしと麦芽が同じ加工食料品であっても同じに考えることができないように、両者を軽々しく同じに考えることはできない。仮に、「UCC」がコーヒー豆で著名であるとしても、「UCC」は寿司では著名ではない。

即ち、「小僧寿し」は「商品すし」においての「株式会社小僧寿し本部」の著名な略称であっても、それは「商品即席みそ汁のもと」においては「著名な略称」ではない。

原判決は、被上告人が製造し、フランチャイジーに販売する袋詰およびカップ詰めみそ汁のもとについて商標法第二六条第一項第一号の適用の誤りがある。

仮に、適用の誤りがないとすれば、この点について、理由を付していない違法がある。

第一〇点

原判決には、判決に影響を及ぼすこと明かなる法令違背がある。―商標法第二六条第二項

原判決は、被控訴人の使用標章の内、一審判決添付の別紙第二、第三目録記載の標章(「小僧寿し」の文字標章)について(被上告人が上告人主張のとおり遅くとも昭和五〇年二月一〇日以前に本件商標の登録の事実を知ったものであったとしても)、上告会社の本件登録商標を利用して不当な利益を得る目的をもっていた事実はこれを認めるに足りる証拠がないとして、被上告人の商標法二六条第一項第一号に基づく抗弁には理由があるとして、上告人の差止等請求を棄却したのである。

しかしながら、商標法第二六条第二項の「不正競争の意思」として「被上告会社が上告人の本件商標の登録事実を知っていたのみではなく、これを利用して不正な利益を得る目的をもっていた」ことをも要件とする、即ち、知情のみならず図利目的まで要すると解しても、原判決の認定事実で十分その要件を充足しているというべきである。

原判決は、商標法二六条第二項の不正競争の意思の解釈を誤り、法令に違背したものであって、これが判決に影響を及ぼすことは明白である。

一、被上告人の「不正競争の意思」の主張・立証については、会社設立当時本件登録商標の存在を知りながら、商号株式会社小僧寿し本部を選択したこと、次に、被上告人の図形標章を登録してこれと右商号の略称とを併用し、あるいは、子象の図柄と併用したりなどして、被上告人の図形標章に「小僧寿し」の観念、「コゾウスシ」の称呼を付着させるにいたったという事実のみで十分とすべきである。

二、被上告人に不正競争の意思があるか否かの判断基準時は、被上告人の標章の使用開始時たる昭和四七年であり、このころは、被上告人は、創業間もないころであった。

一方、上告人は明治年間の創業にかかる盛業中の老舗の食品製造販売業者であり、この時期を基準として考えるべきである。

然るところ、原判決は、二〇〇〇店以上のフランチャイズ店を有するという被上告人の口頭弁論終結時の状況を勘案したためか(この点は、原判決が一審判決に訂正を加えた判読困難な判決のため原判決の何丁何行目とは指摘できないが)、被上告人の不正競争の意思を否定して商標法第二六条第一項第一号により上告人の登録商標権の効力は制限されるとの抗弁を認めている。

然しながら、昭和四八年一月二七日の被上告人の図形標章の商標登録出願前に上告人の本件商標が登録されていることを被上告人は知っていたことは、上告人が原審において新たに主張立証したとおりである。この頃は、被上告人は、創業まもなくの時期であって、そのフランチャイズ店はわずか二七軒であった。これは、被上告人の代表者の著書にも記載されている(乙第一号証二五三頁)。この時期、被上告人は殆ど零からの出発と言ってよい。かかる被上告人が、明治以来の老舗で手堅く食品加工製造販売を行って盛業中であった上告人が保有する登録商標に類似する商号を選択して、昭和四八年一月二七日に被上告人の図形標章を商標登録出願前し、これと商号の略称とを併用して食品業界でフランチャイズ展開をしようとした。

上告人は、明治三六年創業後、大正年間には大発展を遂げて合資会社となり、昭和一〇年には東京にも支店を設け、昭和二六年に株式会社成りした。上告人は水産煉製品、和生菓子、食材、料理折詰、弁当の製造販売を業としているものであり、昭和四九年から上告人の本件商標の指定商品おにぎりの製造販売を始めている(甲第一六二号証乃至一六四号証)。そして、「寿し」の類に属する商品も販売し始めている。

なるほど、被上告人は、急成長をとげ、現在では、二〇〇店を越えるフランチャイズ店を傘下に擁しているとのことであるから、かかる現状を捉えれば、いかに、上告人が食品業界の老舗であろうが、盛業中であろうが、「小僧」商標の名声の盗用ということは、被上告人にとり問題にはならないであろう。しかし、商標法第二六条一項一号の抗弁についての消極的要件たる「不正競争の意思」は、被上告人の標章の使用開始時において問われるべきものである。

さなきだに困難な主観的要件の主張立証につき、原判決の如く被上告人の「不正競争の意思」に発した使用が、後日企業的成功をはたして他人の信用の利用・図利までの必要が毫も無くなれば「不正競争の意思」によらない使用に転化するとの解釈を、若し最高裁判所において維持されるならば、登録商標権の侵害強行による正当化を容認することになろうし、他方、他人の登録商標の十分な認識とその不正利用で足らず、原判決のような商標利用による現実利得の必要があるかの如き狭い解釈を容認するならば、今後、同じく「不正競争の意思」の有無が重点として問われるところの既使用の役務商標の併存登録の可否や、その更新登録の可否についての商標行政に大きく影響し、混乱を招来することが懸念される。

原判決は、商標法第二六条第二項の不正競争の意思につき解釈を誤っており、このため、被上告人の商標法第二六条第一項第一号に基づく抗弁を容れて上告人の請求を棄却し、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の解釈・適用の誤りをおかしている。

第一一点

原判決が、被上告人の商標法第二六条第一項第一号に基づく抗弁を容れて上告人の請求を棄却したことは、被上告人に抗弁権の濫用を許して右抗弁を容れ、アンクリーンハンドの信義則違反の抗弁を容れたもので違法であり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかである。被上告人が商標権侵害を長年継続してその商標を有名にした後に商標法第二六条第一項第一号を持ち出して救済を求めるのは、被上告人の抗弁権の濫用であり、もしくはアンクリーンハンドの者の主張として信義則に違反する抗弁であって許されない。これを容れた原判決および一審判決は法令の解釈適用を誤っている。

また、被上告人の権利濫用、信義則違反をいう場合、被上告人の登録図形標章の不正使用の事実や、上告人との和解契約違反の事実もこれを裏付けるものとして重視されねばならないはずであるのに、原判決がこれにふれないことは理由に不備があるというべきである。

(ちなみに、被上告人が株式会社小僧寿し本部の商号を使用するにつき、不正競争の意思の有無を問題にする際には、被上告人が後発会社として上告人の本件商標登録の指定商品と類似の商品の販売を目的として上告人の登録商標と類似の商標を付することによって商標法第二六条第一項第一号の保護を主張する点に注目する必要があるとし、不正競争の意思までなくとも、単に登録商標であることを知っているということで、仮に、商標法第二六条第二項の適用はないとしても、被上告人が商標法第二六条第一項第一号の救済を求めることは権利濫用に当たるのではないかとの、一審判決に対する判例批評もなされている<石川明 判例評論三八七号四三頁>)

原判決は、係争中に形成された違法な侵害事実の集積たる被上告人と加盟店の利益を救うに腐心するあまり、上告人の登録商標権を全く無視した。

「小僧」という上告人の本件登録商標があるのに、これに「寿し」という普通名称を付加した「小僧寿し」の観念、「コゾウズシ」の称呼を生ずるに至った被上告人の別紙第六目録(1)・(2)の図形商標の使用を、登録商標権の侵害としない原判決には、無理がある。

それでは何故に、原判決は、この様に余りにも上告人の商標権を無視して、違法な侵害事実の集積たる被上告人の本部会社と加盟店の現状を救い上げようとするのであろうか。

それは、若しかかる事件において上告人の主張する如く、「小僧寿し」標章、「人物図柄商標」「KOZOSUSHI」等の英文字の各標章の使用を本件商標権侵害とすれば、被上告人の本部会社の加盟店は全国規模では二〇〇〇店を超えるので、上告人の取得する使用料相当額は、過去の侵害行為に付いての賠償はともかく、今後の使用についての使用料に思いを致すとき膨大なものになると考えたのであろう。そこで、原審は、かかる使用料を上告人に得させるのが相当かについて大いに躊躇されたからという他考えられない(実際は、商標の寄与率の判断でいくらでもバランスがとれるのである)。

しかし、いかに現在大きくなっていようとも、違法利益の集積を既成事実として温存すべきではない。

原判決は、被上告人の不正を糺さず、一審判決をより更に改悪した。原判決には、一〇点を越える多くの違法があり、法律に従った裁判をしておらず、当初から被上告人を救済することだけを考え、これに一見論理を合わせるように無理をして、一審判決の修正のみで上告人の請求を強引に棄却している誤りをおかしている(第二審での控訴人の事実主張や法律的主張を判決に記載せず、部分修正のみで済ませ、第一審判決の誤りを正すという第二審の意義をなくしている)。

原判決が、右に述べた如き始めに結論ありきの判決で、真剣に独自性をもって判決していないことは、以下の事実からもうかがえる。

即ち、原判決の当事者の表示欄の控訴人の記載につき、代表者の長﨑の﨑を崎と誤記するのは、ワープロの文字変換機能上止むを得ないとしても、肝心の控訴人の商号株式会社入船を株式会社入舟と誤記している。しかも﨑を崎と誤記した小さな誤りは訂正されながら、株式会社入船を株式会社入舟と誤記していることは見過されている。判決に影響を及ぼす違法とはいえず、ささいなことで揚足を取るつもりはさらさらないが、二年余にわたり審理してきた当事者の一方の表記を悉く誤記することからして、原判決が、果たして真摯に一審判決を自ら批判点検したのか疑問を持たざるを得ない。

なお、上告人の代表者の父は、第一審では商標ブローカーのように誤解されていた。この誤解はとけたと信ずる。しかし、被上告人が徐々に「小僧寿し」商標から「花館」商標に商標変更をして、一切ロイヤルティーすら支払わず「小僧寿し」商標の食い逃げをはかったという不正義を糺す裁判所の役割を原審は果たさず、第一審判決を更に改悪した。

以上のとおり、原判決は、被上告人の抗弁権の濫用となる抗弁を容れ、もしくはアンクリーンハンドの者の主張として信義則に違反する抗弁を容れたのであり、原判決および一審判決は法令の解釈適用を誤っている。

第一二点

原判決は、判断を遺脱し、理由不備の違法があり、これは民事訴訟法第三五九条第一項第六号に該当するので、破棄を免れない。

(―被上告人の別紙第四目録(1)記載の標章、即ちKOZOの英文字の使用について―)

一審判決は、被上告人の別紙第四目録(1)記載の標章、即ちKOZOの英文字の使用については、それが多用され、被上告人その加盟店が形成する企業グループの名称乃至略称として著名になっていたと認めるに足りる証拠はなく、上告人の本件商標権の侵害となるとして、その標章の使用の差止、抹消請求は認容した(一審判決五四丁裏と五五丁)。

ところが、原判決は、判決書中「三 当裁判所の判断7乃至9項」において一審判決中の記載からKOZO文字を削除して、「三 当裁判所の判断6項」を加えて、KOZO文字の使用店舗と使用態様を認定しながら一時使用していたとする。

原判決は、一審判決の部分的加除訂正に止まるため極めて総体的に判読が困難である。そのため、右削除の趣旨が、一審判決の認定事実を覆したのか、あるいは、「KOZO文字の使用が商標法第二六条第一項第一号に基づく抗弁の要件事実たる『略称としての著名性』を未だ獲得するに至っていない」との一審判決の判断を覆したためであるのか判然としない。原判決の真意がいずれであるにしても全くその理由を述べておらず、理由不備、判断遺脱の違法をおかしている。

原審の審理経過においても、KOZO文字の使用店舗と使用期間を被上告人は自白しているのであって、KOZO文字の使用についてや、KOZO文字の使用が商標法第二六条第一項第一号に基づく抗弁の要件事実たる「略称としての著名性」を獲得したか否かは、当事者間において殆ど争点とはなっておらず、被上告人はこの点の立証の追加もしていなかった。原審は、第二審として一審判決の当否を判断するのであるから、原判決が、原審で当事者間において殆ど争点とはなってはいないこの点についての一審判決の判断をあえて変更するについては、当然その理由を付すべきであるのにこれを為していない。

原判決が、独自に判断して判決書を書き下しておれば、右の理由を付さずには済まされないのに、一審判決の部分的加除訂正判決であるため判読に難渋し、理由を付していないことも判決の外見上は目立たないのである。

第一三点

原判決は、商標法第三八条第二項の解釈を誤り、法令に違背し、これが判決に影響を及ぼすことは明白である。

仮に、しからずとすれは、民事訴訟法第一二七条所定の釈明権不行使であり、訴訟手続の違背がある。

原審において、一審判決はその別紙第四目録(1)記載の標章使用には、被上告人の商標法第二六条第一項第一号に基づく抗弁は成り立たないとして、本件商標権の侵害を認めている。そこで、上告人は、これに対する商標法第三八条第二項所定の実施料相当額の損害賠償は、いかに少なくとも認められるべきであって零としてはならない旨主張した。

これに対し、原判決は、上告人主張の損害賠償請求を肯認するには、商標権侵害の事実(すなわち、侵害行為をした店舗、その各侵害状況・期間等)や侵害期間中の各店舗の売上額等の事実が個別的、具体的に明らかにされ、認定されることを要するところ、本件を通じ、その十分な主張立証がないとして、一切、求釈明もせずに、上告人の損害賠償請求をその余の判断をするまでもなく理由がないとして賠償額を零とした。

然しながら、商標法第三八条第二項は、商標権が故意、過失により侵害されたことが明らかにされた場合には、現実に損害が発生していると否とを問わず、侵害により損害が発生したものとみなして最低限度の賠償を請求することができる旨規定している。その額は、その登録商標の使用に対して通常受けるべき金銭の額に相当する額、即ち使用料に相当する額である。これは、通説・判例の一致して認めるところである(網野誠「商標〔新版増補〕」八八一頁、中山信弘編「注解特許法」八八一頁~八八五頁、渋谷・紋谷「注釈特許法」二四九頁、紋谷暢男「通常受けるべき金銭の額」著作権判例百選九〇事件)。

なお、賠償額としての実施料相当額はその具体的金額は法律上未確定であるが、一種の法定賠償額であり、その額につき権利者の主張立証が欠ける場合においても、裁判所としては独自の判断に基づき、これを算定しなければならないとされる(紋谷暢男「通常受けるべき金銭の額」著作権判例百選九〇事件)。

ところで、本件においては、つぎのとおり英文字使用の被上告人のフランチャイズの店名を挙げ、使用期間、売上額まで特定してその主張立証をしている。

即ち、万々店、神田店、升形店、一宮店、太田店については、甲第二二五号証乃至二三一号証と甲第一六一号証をもって立証している。

また、被上告人は、別紙第四目録(1)の「KOZO」表示使用について、使用店(福井市手寄店、高知市枝川店、高知市一宮店、東京福生店、東京昭島店、岡山益野店)、使用期間、売上額を被上告人の平成四年三月一一日付の第九次準備書面をもって特定して自白している。

したがって、原判決は、最小限でも万々店、神田店、升形店、一宮店、太田店 福井市手寄店、高知市枝川店、、東京福生店、東京昭島店、岡山益野店についての使用料相当額を何らかの基準により損害賠償額の算定して、被上告人にその支払いを命じなければならなかったのに、原判決は、これを行わなかったとという明白な判断遺脱をしている。

商標権侵害を一部といえども認めながら、なんの釈明も求めず、長年の商標権侵害を容認し、第一審で同様であったので商標法第三八条第二項が特段に意識され問題とされていたのに、賠償額零という判決には納得できない。

原判決は、この商標法第三八条第二項の賠償額を、同条第一項および第三項による賠償請求の場合の賠償額の算定と同様に扱うという明白な法令の解釈の誤りを犯したもので、この違法は、判決に影響を及ぼすことは明らかである。

原判決の右判断は以下のとおりの従来の判決にも反する。(一)十五屋標章事件。名古屋地方裁判所判決昭和五八年一月三一日無体集一五巻一号一五頁、(二)曾呂利事件。大阪地方裁判所判決昭和五七年一月一九日特許管理別冊判例集昭和五七年一頁、(三)「花紋」「オリオン」「カペラ」商標事件。名古屋地方裁判所判決昭和五五年四月二五日判例時報九九二号九三頁、(四)「花紋」「オリオン」「カペラ」商標事件控訴審。名古屋高等裁判所判決昭和五六年七月一七日判例時報一〇二二号六九頁 この判決では、第一審原告が使用していなかった一件の商標(いわゆるストック商標)に関してですら、商標法第三八条第二項を適用して、天井材の業界では、対価を支払ってまで他人の登録商標を実施した事例が認められないことなどの諸点を勘案し、商品の総出荷額の一パーセント相当額のみを損害額と認めている。原審では、右以上の主張・立証がなされており、右以上の立証を求めるならば、商標法第三八条二項ですら働かない。

即ち、かかる場合にすら、低い料率ではあろうとも商標法三八条二項に則り損害賠償額を算定してその支払いを命じているのであり、原判決のごとく零とはしていないのである。

しかも、本件では、「小僧」商標はストック商標ではなく、この使用と法的評価を同じくする連合商標「おにぎり小僧」を上告人は使用して、寿し、おにぎり、弁当、折詰めの製造販売をしている。(五)ポールセフティ事件。大阪地方裁判所判決昭和五四年三月二三日無体集一一巻一号二四七頁 これは、類似する標章を指定商品に使用することによるいわゆる擬制商標権侵害の場合の損害額の算定にあたり、商標法第三八条二項の適用があるとされた事例である。

商標法第三八条二項にいう「侵害した者」とは、少なくとも同法三七条一項所定の擬制侵害者をも包含する趣旨であると解すべきであるし、そこに定められている損害額に関する条項も、権利者は、違法使用標章が同一であるか、類似であるかにかかわらず、それによって損害を被ることを当然の前提として、ただその場合の額を、一般に侵害によって生ずべき通常の損害として相当と考えられている当該同一商標の使用料と同額と定めたまでであるという。(六)制糖茶事件。東京高等載判所判決昭和六二年九月二九日無体集一九巻三号三七一頁 これは、侵害者の標章を付した商品の販売による利益のうち、右標章を使用したことと相当因果関係のある利益額を算定することは困難であるとして、商標法第三八条一項に基づく損害の請求を斥け、商標法第三八条二項に基づき右各標章を付した商品の販売による売上額に登録商標の使用料率である二パーセントを乗じた額をもって右登録商標の商標権侵害行為による損害額と推定した。

本件の原判決は、第二審判決である。一部分であるとしても、第一審で商標権侵害は認めながら立証不備として賠償額が零であった結論を、上告人も裁判所も意識しながら審理が進められた原審において、明確に商標法第三八条第二項が主張され、立証もなされながち、一銭の賠償金も与えない審理とその判決は不当極まる。

おわりに

上告人代表者は、自己の正しい証言が容れられず、被上告人代表者の事実に反する証言が容れられたことに不正義と憤りを感じている。これが、利害を超えて印紙を貼用し費用支出をして上告までしている理由である。仮に、原判決の結論が確定するとするならば、和解で両者異論なく抹消した人物図形商標(別紙第六目録(5))の前だれ中の「小僧寿し」の文字の抹消まで必要ないということになる。現に、被上告人の店舗の模様も積極的になりつつある。上告人の「寿し」における「小僧」商標も、被上告人の「小僧寿し」の「寿し」以外への品種への進出も増加しつつあって、両者の交錯は増えている。

被上告人の「花館」商標への転換の動きが、原判決の判断で逆行すれば、このままでは、本件上告が棄却されてもなお「小僧寿し」商標紛争は終結せず、次の訴訟を次々引き起こすだけである。

原判決を差し戻し、上告人の納得の行く正しい解決が行われることを望む次第である。 以上

図形・称呼.概念類否 110

〈省略〉

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